大切であっても。
母親の病気がわかったのが3月末。
治療の方針が確定したのが5月末。
余命を聞いたのが先週。
遠くに離れて住んでいるから、自分にできることをしようと、身体に良い食べ物を調べたり聞いたりして伝えたり、ほぼ毎日体調のことや心のことで電話とメールをしていて。
自分にできること、やっているけど、直接顔を見れないし、背中をさすることも、料理も作ってあげられないことが、ここ最近、しんどくなってきていることに気付いて。
大好きな人や仲間たち、やりがいのある仕事から離れることになるけど、
実家の熊本に拠点を移すことにした。
東京に部屋を残したいけど、当面は残すほど頻繁には来ないし、定期的な収入源確保も実家に帰って落ち着いてからになるし。
大好きな人と一緒にいられなくなることが、ほんとうに悲しい。思うだけで、胸が苦しくなるし、涙がでてくる。
でも、ここで帰らないと後悔する。
ずっと、心は繋がっているから離れていても大丈夫と思っていた。
そんな中、母親の病気のことで、実家に帰る話が持ち上がった3月末、離れたくないと思った人の存在に気付いて。
4月末に実家に帰省した時、何も話さなくても、一緒にいるってことの大切さを実感した。
要所要所で、どちらかを選ばないといけない時がある。どちらとも、とても大切であっても。
今の私は母親のそばにいることを選ぶ。
だからといって、選ばなかったほうが、大切ではないということでは決してない。
大切で大切でたまらない。