自分探しの旅、モノと自分の関係から考えるフィンランド映画『365日のシンプルライフ』
8月16日公開映画『365日のシンプルライフ』。
対話型上映イベントを開催するKinologue企画のフィンランド映画『365日のシンプルライフ』の先行上映、ペトリ・ルーッカイネン監督とウェブマガジンgreenz.jp代表・鈴木菜央さんのトークイベントに参加してきました。
greenz.jp×映画『365日のシンプルライフ』 モノと自分の関係から見えてくる、次の時代の暮らし方
映画の内容は上記のサイトに譲るとして、鈴木さんの質問や会場からの質問に対して監督が答えてくれた内容で、私が心に残ったことを書きたいと思います。
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物を買うと、買うだけで終わらず、維持したり色んな物から選択をしたりとエネルギーを消耗する。物が程よい限度を越えてしまい、物に囲まれすぎて、物が憂鬱感を与えるようになってしまった。皆さんに物を持たないでということを言いたいのではなく、自分にとってのほどよい状態を見つけてほしいと思った。
家に友人を呼んだ時、3人ならゆっくり話せるが、10人だとじっくりは話せない。あんまり物を持っていると、ひとつの物に接する時間が短くなる。物と人との関わり方は共通していると思った。
このシンプルライフは自分探しだった。何で物に執着していたんだろう?どういう人間になりたいか?どういう生き方をしたいか?哲学的なことを考えていた。物を買っていたのは愛が欲しかったことに気づいた。
他人にどう思われようと自分に正直に、ありのままの自分でいれるようになり、自分のことが好きになれた。精神的な居場所が見つかり、どこにいても自分の家だと感じられるようになった。物を持っていることで価値を与えられていたことから解放された。
自分を見つめたい時、旅に出かけたくなる。でも戻ってきても部屋は変わらない。内なる自分を見つめる旅にでたかった。内なる旅から戻って来た時に心地いい状態になっていて、今もその状態が続いている。旅をしている感じ。最終的にここからいなくなった時の(死を意味する)準備期間ととらえてもらえれば。
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私の部屋で多いなーと思っているのが、洋服、アクセサリー。洋服は、ここ最近、多すぎる! と嫌気がさしていました。大好きな洋服たちばかりなのに。。
映画のワークショップ・イベントに参加して、「どうして洋服やアクセサリーに執着しているのだろう」と考えてみたところ、、、
・その日の感じを象徴した服を着たい
・自分を表現したい
・好きなものに囲まれて気持ちよく過ごしたい
・好きなものを身につけていると、守られている感じがする。
・多少何かあっても気持ちをキープできる
・自分と同じ感性の人がわかる
今、書いていて「自分を知ってほしい」という積極的な部分と「自分を守りたい」という保守的な部分と両方あることに気づきました。
アクセサリーは、普段使いのものとパーティー用でいうと、指輪2個とネックレス6個、ブレスレット1個、イヤリング2個。書き出してみると多くない。ということは、他は処分の対象か。いや、買った時は強く心惹かれて買ったものばかりなので、今も使いたいものがあるか見直してみよう。
おっ、自分と向き合ってる。
映画を観て、良かった。